こどもたちの健康を願って生まれた肝油ドロップ
亀太郎が生まれたのは明治9年(1876年)、天竜川のほとりで農業を営む家庭でした。幼少期は豊かな環境の中で育ち、勉学にも励んでいましたが、12歳の時に父を亡くし、一家の生活は一変します。進学を諦めざるを得ない状況の中、亀太郎は「薬剤師の資格を取れば家計を支えられる」と考え、学問への道を再び切り開いていきました。
16歳で東京の薬科学校(現在の東京薬科大学)に進学し、学費の工面に苦労しながらも猛勉強の末、特待生として卒業。やがて「近代日本医学の父」北里柴三郎博士が設立した北里研究所で研究に携わることになります。その後、東京第一高等学校で医薬志望の学生に指導をしていましたが、過労がたたり胸部疾患を患い、療養のために転職。そこで、患者の栄養状態を改善するための研究を始めました。
「より多くの命を救うために」——肝油ドロップの誕生
当時、胸部疾患に対する有効な治療法はなく、唯一の対策は「十分な栄養を摂ること」でした。亀太郎はタラの肝臓から抽出される肝油に着目し、その栄養価の高さを活かした新しい製品の開発に取り組みます。しかし、肝油は独特の強い臭いがあり、服用しにくいのが課題でした。そこで亀太郎は、飲みやすい形状にするための工夫を重ね、明治44年(1911年)にゼリー状の「肝油ドロップ」を完成させました。甘くて食べやすいこの画期的な製品は、多くの人々に受け入れられ、広く普及していきます。
試練と再起——こどもたちの未来を守るために
肝油ドロップは全国に広がっていきましたが、亀太郎の歩みは順風満帆ではありませんでした。関東大震災、第二次世界大戦の戦火による工場の焼失など、幾度も苦境に立たされます。それでも亀太郎は諦めることなく、戦後すぐに事業を再建し、「カワイ肝油ドロップ」として再び製造を開始しました。
さらに、こどもたちの栄養不足を憂いた亀太郎は、肝油ドロップを全国の学校へ普及させる活動を展開。栄養バランスの取れた食事の大切さを伝えるために**季刊誌『健康教育』**を創刊し、教育機関への無料配布を開始しました。こうした取り組みは、今もなお続いています。
未来への願い——「医薬仁業」の精神を受け継いで
「医学・薬学を通じて人々の健康に貢献する」—— 亀太郎が掲げた「医薬仁業」の理念は、現在も私たちのものづくりの根底にあります。肝油ドロップの誕生から100年以上が経った今、時代とともに栄養課題は変化していますが、こどもたちの健やかな成長を願う思いは変わりません。
これからも亀太郎の志を受け継ぎ、「健康を支える製品づくり」を通じて社会に貢献してまいります。
<略歴>
年代 | 出来事 |
1876年(明治9年) | 静岡県(現・浜松市)に生まれる。 |
1888年(明治21年) | 12歳のときに父を亡くし、家業も傾く。進学が困難になる。 |
1892年(明治25年) | 東京薬学校(現・東京薬科大学)に特待生として入学。 |
1893年(明治26年) | 同校を卒業し、薬剤師資格を取得。北里柴三郎博士が設立した北里研究所に入る。 |
1894年(明治27年) | 東京第一高等学校(現在の東京大学教養学部、千葉大学医学部・薬学部)へ、助教(補佐役)として就任。 |
1898年(明治31年) | 過労により胸部疾患を患い、研究職を離れ、平塚の杏雲堂病院分院の薬局長に就任。 |
1902年(明治35年) | 平塚で療養中の文学者・高山樗牛と親交を結ぶ(のちに記念碑の碑文を揮毫)。 |
1910年(明治43年) | ミツワ化学研究所の主任研究員に就任。肝油の研究に本格的に取り組む。 |
1911年(明治44年) | 「ミツワ肝油ドロップ」(現・カワイ肝油ドロップ)を開発し、商品化される。 |
1923年(大正12年) | 関東大震災で研究所が焼失。独立を決意し、河合製薬所(現・河合製薬株式会社)を創業。 |
1931年(昭和6年) | 東京大学に「日本産タラ肝油の生薬学的研究」を提出し、薬学博士号を取得。 |
1932年(昭和7年) | 日本薬剤師会会長に就任。(~45年)学童生徒の「健康教育」の目的をもって、学校用肝油ドロップの製造販売を開始。 |
1936年(昭和11年) | 肝油の改良研究と薬事制度の見聞のため欧米を視察。11件の特許を取得。 |
1943年(昭和18年) | 河合製薬株式会社を設立。 |
1945年(昭和20年) | 戦争により工場が焼失。社員とともに再建を誓う。 |
1946年(昭和21年) | 工場を再建し、「カワイ肝油ドロップ」として販売を再開。 |
1956年(昭和31年) | 季刊誌『健康教育』を創刊し、全国の教育機関に無料配布を開始。 |
1959年(昭和34年) | 83歳で逝去。瑞宝章受章。生涯を通じて「医薬仁業」の精神を貫いた。 |
現在、肝油ドロップは時代とともに進化し、こどもから大人までの健康を支え続けている。